INTERVIEW

地域に欠かせない管工事・空調設備工事会社を
他地域の同業者に譲渡

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吉田隆一氏と辻本康行氏

有限会社吉田設備工業 会長 吉田 隆一 氏 (写真右)
フジヤ住設工業株式会社 代表取締役 辻本 康行 氏 (写真左)

北海道東部、オホーツク海やサロマ湖に臨む湧別町で親子2代にわたり管工事・空調設備工事業を営んできた吉田設備工業。一般家庭や町役場・公共施設などの管工事・空調設備工事を担い、堅実に業容を拡充。地域に欠かせない地場の設備工事業となった。吉田設備工業は2021年9月、社長の吉田隆一氏が同社の会長となり、道北・士別市のフジヤ住設工業(辻本康行代表)に会社を譲渡した。その背景と理由について、吉田氏と辻本氏にうかがった。

人口減少が進む港町で、受注が拡大していった

吉田設備工業の概要や創業から今日までの経緯について教えてください。

吉田:創業は私の父で、ずっと個人経営を続け、会社組織にしたのは1979年5月のことです。創業当初は、それこそ個人で配管工事など請け負って事業を営んでいました。会社組織になった頃は社員を2〜3名、15年くらい前からは7〜8名を抱えるようになりました。主な事業はほとんど変わりませんが、受注案件が増え、引き受ける工事の規模が一般住宅の配管・空調から、ビルや公共施設の設備工事など徐々に広がりました。

すべて自社での単独受注によって対応されてきたのですか?

吉田:いえ、当社の本社がある湧別町の庁舎設備など大型物件の設備受注を単独で対応するのは難しく、近隣の北見市の設備業者との共同企業体で対応することが多かったです。ただ、そうした実績を積むことで、自社単独で受けられる仕事が増えていきました。役場からも、「この仕事なら、吉田さんのところですぐにやってもらえる」と依頼される機会が増えました。

湧別以外でも、近隣の遠軽や紋別からの注文が増えてきました。ただ、道(北海道)の案件となると、それぞれの地域に力のある住設工事会社がいますので、発注いただけるように営業活動をしてきました。最近は、自治体施設の住設工事の発注は一般競争入札で対応されるので、応募しやすく受注もしやすくなってきました。

湧別町の経済環境について教えてください。

吉田:もともと旧湧別町と隣の旧上湧別町が2009年に合併して湧別町になったのですが、そのときの人口が約1万4,000人。それが10年強の間に1万人を切るようになりました。旧湧別町と旧上湧別町それぞれのまちに活気があった私が若い頃と比べると、人口は半分か3分の1くらいに減っているのではないでしょうか。

なかなか厳しい状況です。人口減につれて受注も厳しくなってきましたか?

吉田:それが逆で、この10年ほど仕事量が増え、受注単価も上がりました。人口減にも関わらず受注が増え、反比例していました。

公共施設の受注は町村合併によって増えました。また、仕事の内容が高度化して単価が大きな仕事が増えてきました。例えば、一般家庭の住設工事では、かつては「給湯器をつけて終わり」だったものが、今はエアコンでの全室暖房という注文になっています。町施設の工事でも全館暖房施設の設置・配管工事となると、工事一式単価が大きくなります。

業績が伸びるなかで事業の譲渡を決意されました。きっかけはなんでしょう?

吉田:会社の譲渡は、業績が安定した状況だったからこそできたことです。きっかけは、次の代に経営を託そうとしていた社員に「私では荷が重い」と断られたことです。結局その社員は辞めてしまい、そこで事業承継はいったん暗礁に乗り上げました。

事業承継では子に事業を継がせるケースも多いようですが、当時、私の息子は大学生で、息子を当社に入れても事業を継いでもらうのは10年、15年先のことになる。私は60代の後半ですから、このまま10年先、15年先も同じように経営していく自信はありませんでした。

「この先、がんばれるだけがんばって店を畳もうか」とも考えました。でも、考えれば考えるほど、お世話になっている取引先、役場の方々などお客さまの顔が浮かびました。当社が担当している施設の、ずっと続く補修や修繕のことも考えると、「簡単には辞められない」という気持ちも強くなり、悩みました。

どなたかに相談されましたか?

有限会社吉田設備工業 会長 吉田 隆一 氏
吉田設備工業 会長 吉田 隆一 氏

吉田:気の置けない経営者仲間に相談すると、「みんな同じだね。俺もそこで悩んでいるんだよ」と。こうしたら解決する、といった話にはならなかったです。

その頃、何の気なしに事業引継ぎ支援センター(北海道事業承継・引継ぎ支援センター)の事業承継アンケートに答えたことがありました。すると、すぐに同センターの方から「詳しくお話をうかがいたい」と連絡がきて、それが始まりです。その方からストライクの小林さんをご紹介いただいて、譲渡先を探してもらうことになりました。

その頃、事業の譲渡やM&Aを活用した第三者承継といったことに、どのようなイメージをお持ちでしたか?

吉田:私はイメージも何もまったくなくて、道東の“田舎町の設備屋”を誰かが継いでくれるなんて、考えてもいなかったです。小林さんと会って、ちょっとチャレンジしてみようという気になりました。

M&Aアドバイザーの意見(小林尚希・ストライク札幌営業部長談)

ストライク小林

吉田設備工業様は、地域のインフラを守るうえで欠かせない会社です。借入れもなく、毎期安定して利益を出していました。収益性・財務面はまったく問題ない会社です。ただ同じ商圏内に譲受け対象となり得る企業が少ないのも現実でした。しかも代表の吉田様は一人でなんでもこなすスーパーマン。こういう専門家がいらっしゃる会社の事業を継げる方を探すことが、まず大変でした。

事業譲渡先は身近な同業者だと従来の仕事仲間で協力関係があることも多く、お声がけしにくい面があります。一方で遠方の会社だと現場が把握しづらいため、現実的には事業を譲り受けにくい。ただ、素晴らしい会社ですから、北海道内を探せば絶対にいいお相手は見つかると考え、譲渡先探しに取り組みました。

お客さま、社員、家族の理解・納得をどう得たか

そのチャレンジをするなかで、北海道士別市にあるフジヤ住設工業さんが候補に挙がったのですね。フジヤ住設工業はどのようなお仕事をされているのでしょうか?

辻本:吉田設備工業と同業の住設会社で、主に上下水道の設備・配管施工をやっています。営業エリアは湧別町からクルマで2時間ほど走ったところの士別市とその周辺町村で、旭川市の北にあるといったほうがわかりやすいかもしれません。

実際に吉田様と辻本様が会ってお話しされたのは、いつ頃でしょうか?

辻本:去年の6月か7月頃でした。当時、私は54歳で、2歳下の弟が専務をやっていました。今回の吉田設備工業の譲り受けとは関係なく、ずっと前から弟には「私は55歳で社長を引退し、お前に代表権を譲る」と伝えていて、弟もそのつもりでした。実は私は先代の父が急逝して急遽、社長を継いだものですから、私が後継者に事業を承継する際には時間をかけて段取りよく進めたいと考えていたのです。ただ、「弟に首尾よく経営を譲ったあと、自分はどうするか」と考えてはいました。

吉田様とお話しされての印象は?

フジヤ住設工業株式会社 代表取締役 辻本 康行 氏
フジヤ住設工業 代表取締役 辻本 康行 氏

辻本:吉田さんはとても立派に、かつ堅実に経営されていると思いました。吉田さん個人にも魅力を感じ、湧別の町にも魅力を感じました。湧別は人口が減っているとはいえ、海産物も豊富で酪農も充実し、産業的には活気がある。

その後、2回目に会ったときは小林さんにお願いして、専務の弟にも面談に同席させてもらいました。面談からの帰り際の車内で、弟も「いい会社だと思う」と私に言いました。弟はどちらかというと技術系で、吉田設備工業の整然とした資材庫などを見ただけで、丁寧な仕事ぶりがわかったようです。それで、譲り受けを本格的に進めることに決めました。

吉田様から見た、当時の辻本様の印象は?

吉田:当社を譲り受けてくれる会社・人が本当にいるのかな?と半信半疑でした。後日、私がフジヤ住設工業さんを見せていただいたとき、同じような規模感の会社で、うまく事業譲渡が進めば、お互いにとってのメリットも大きいと感じました。

吉田設備工業のお客様、取引先に理解・納得してもらえるか、懸念はありませんでしたか?

吉田:それは確かにありました。それでも、社名は吉田設備工業のままですし、社員も事務所もそのまま変わりません。経営は私が会長職となり、辻本さんに代表権を持ってもらうことになりますが、外部からの会社の“見た目”は変わらないのです。

辻本:実際にお取引先に挨拶に行くと、皆さんは「えーっ」と、驚かれていました。ただ、役場の方もお客さまも、経営者が高齢になれば、身内・他人にかかわらず誰かに事業を継いでもらえないと、会社を畳むしか選択がないと理解されています。皆さんにすんなりと納得していただけたのも、吉田さんが会長職に就いていたからこそです。私としては1日でも早く地域に馴染まないといけないと思っています。

吉田:社員もお客様も同じで、私がいきなり会社を離れ、辻本さんだけが乗り込んできたとなると驚くでしょうし、不安にもなるでしょう。ただ、私が会長として在籍していれば、辻本さんが来ても「何も変わらないんだ」と思うはず。これから時間をかけて経営の実務を譲り渡していくことが大事だと思います。特に社員には「社長は高齢になったから、交代したんだね」と自然に思ってもらえるくらいがいいのかもしれません。

M&Aアドバイザーの意見(小林尚希・ストライク札幌営業部長談)

ストライク小林

事業承継などのM&Aでは、株式譲渡契約書に記載されていないようなことが大切になります。例えば従業員の心理面のフォローなどについて細かな擦り合わせをして、当事者が互いの思いを共有していくことも必要です。その細かな調整を行うことで、新しい社長のもとで事業もよりスピーディにスタートできると思います。

吉田設備工業様の例では、社員の方にどのタイミングで伝えるか、仕掛かり中の工事や新規採用についてどのように対応するかなどの調整が必要でした。新型コロナ禍でもあり、それら調整の打ち合わせはリモートで対応していただきましたが、頻繁に、かつ細かく擦り合わせできる面もありました。

ところで、社員の方々にはどの段階で事業譲渡の話を伝えましたか?

吉田:小林さんのアドバイスもあり、社員達には最終契約書に調印したあとで伝えました。それより早く発表してしまうと、社員も不安になるだけだと思います。小林さんにはそういった細かなアドバイスもいただきありがたく思っています。

辻本:確かに、M&Aでは「どの段階で、何を伝えていいのか、いけないのか」といった約束事などもあるようで、小林さんにはそうしたアドバイスも迅速・的確にもらえました。

ご家族、特にご子息にはどのように伝えられたのでしょうか。ご子息は心のなかでは「ゆくゆくは会社を継ぐ」と思っていたかもしれません。

吉田:息子には、息子が高校生の頃に、「お前に会社を継がせるつもりはない。自分の仕事は自分で探せ」と伝えていました。息子は去年、大学を卒業して就職しました。私の本心としては、息子に会社を継がせることも少し考えていました。しかし、継がせるのは今ではない、と踏みとどまったのです。今、息子が社長を継いで、その横から高齢の私が会長席からアレコレと指示をしても、ケンカのタネを増やすだけでしょう。息子には継ぐ気持ちもあったようですが、現実の経営はそう簡単にはいかないものです。

地場の設備屋は、お客様からの緊急連絡にも対応する必要があり、「土日、祭日だから伺えません」というわけにはいかない面もある。息子がそうした環境を理解したうえで、高度化した技術仕事ができるようになるには、5年、10年といった長い経験が必要です。

ですから、私が息子に事業を継がせたいと思ったとしても、現実にはなかなかむずかしいことです。妻も、私の判断を理解してくれていました。

最後に吉田会長のセカンドライフの夢を教えてください。

吉田:高校を卒業して設備屋として働いて50年あまり走りっぱなしでしたので、ちょっと疲れました。今69歳ですが、70歳にはきっちり引退したい。悠々自適ではありませんが、ゆったりとした生活をしたいですね。実は船を持っているので、オホーツクの海でのんびり釣りをしたり、旅行したりしよう、と勝手に考えています。

辻本:私も会長には早くゆったりとしていただきたいです。そのためにも私は早く設備技術やコンピュータなども勉強しないといけません。私が土木技術には詳しくても、今はボイラーもコンピュータで制御されているので、「コンピュータ制御がわからない」では仕事になりません。

それに、設備工事業にもさまざまな許認可が関係し、地元の工事は地場の業者に発注するといった行政上の意向・決まりもあるようです。私は譲受けが決まってすぐに住居を湧別に移しましたが、そういった行政対応の面でも勉強していくことは多いですね。その面でも、小林さんにはお知恵を拝借したいと思っています。

本日はありがとうございました。

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