INTERVIEW

「会社なんて売れるわけがない」数億円の借金を乗り越えた社長の転機
創業100年の製缶メーカーが紡ぐ新たな物語

株式会社石岡鉄工所 顧問(前代表取締役) 石岡  洋三 氏(中央) ストライク 板東 伊吹(左) 矢島 佑哉(右)

株式会社石岡鉄工所 顧問(前代表取締役) 石岡 洋三 氏

広島県福山市で100年以上の歴史を持つ製缶メーカー、株式会社石岡鉄工所。かつて数千万円もの債務超過に陥った同社を、たった一人で立て直した顧問(前代表取締役) 石岡洋三氏は、負債を完済後、なぜM&Aという選択をしたのか。2025年8月、株式会社大晃ソレイユホールディングスへの株式譲渡を決断するまでの葛藤と、ストライクとの出会いが導いた新たな未来について聞いた。

高さのある工場が生み出す競争優位 大型タンク製造で築いた独自のポジション

まず、御社の事業内容と強みについて教えてください。

石岡鉄工所の製缶技術について説明する石岡氏
石岡鉄工所の製缶技術について説明する石岡氏

私たちは「製缶」と呼ばれる事業を行っています。主にタンク製造、サイロなど、プラントで原料をストックしておくような設備を作っています。納入先は化学メーカーから食品メーカーまで多岐にわたりますね。

当社の最大の強みは、高さのある工場で大型タンクを縦に組立てできることです。径3.5メートル、長さ15メートル超という道路輸送の限界サイズまで対応可能で、ここまでの大型製缶ができる会社は全国でも数少ないんです。また、JFEスチール株式会社西日本製鉄所(福山地区)向けの大径管曲がり矯正を独占的に手掛ける等、他社では対応できない案件が回ってくることも多いですね。

株式会社石岡鉄工所 外観
株式会社石岡鉄工所 外観
大型製缶が行われる石岡鉄工所の工場内
大型製缶が行われる石岡鉄工所の工場内

連帯保証人になって初めて知った真実 8000万円のハンコが変えた人生

社長就任時、会社が数千万円の債務超過だったことを後で知ったそうですね。当時の心境をお聞かせください。

経営を立て直した当時の想いを語る石岡氏
経営を立て直した当時の想いを語る石岡氏

私がここに来た時、会社は借金まみれで、いつ潰れてもおかしくない状態でした。ただ、詳しいことは全く聞かされていなかったんです。当時は東京で勤めていたのですが、1998年に父の会社に入りました。
転機は突然やってきました。ある日、社長が銀行と応接室で借り入れの契約をしていたのですが、突然私も応接室に呼ばれ、「8000万円の連帯保証人のサインをして」と。事前に何も聞いていませんでした。「そんな話ある?」って感じで。実は会社全体では数億円規模の負債があり、債務超過も相当な額でした。後から考えると、もう少し悪化していたら銀行も見放していたでしょうね。根抵当に入れていた土地があったから、なんとかつなぎ止められていたんだと思います。
それまでは「もし借金を返しきれなかったら老後破産だな」と軽く考えていたのが、連帯保証人になった瞬間、急に現実として迫ってきました。「会社に何かあったら自分も終わる」と。結婚もしていましたし、節約してお金を貯めても会社が潰れて取られるなら使わなきゃ損だと、金遣いが荒くなった時期もありました(笑)。でも、それが逆に「絶対に負債を返さなければ」という強い決意につながったんです。

薄利多売から高付加価値へ 事業転換という英断の裏側

債務超過解消のため、事業の軸足を大きく移されました。この決断の背景は?

父は「安く良いものをつくって喜ばれる」というスタイルでした。でも、利益が出なければ意味がない。
転換点は、メインの取引先に計画倒産された時でした。家を売ってもギリギリの状態。そこから私が実際に営業として動き始めました。といっても、営業回りというわけではなく、来た仕事の見積もりに全力を注ぐ。「見積もり命」です。
どこでもできる仕事は価格競争になる。だから、うちじゃないとできない仕事ではしっかり利益を取る。高さのある工場という強みを活かした大型タンク製造、特殊なパイプ矯正。価格は他社より少し高くても、「石岡鉄工所なら安心」という信頼を売るようにしました。

その結果、どのような成果が出ましたか?

私が常務取締役になって営業をやり始めてから黒字化し、社長になってからは一気に利益が上がりました。年間金利だけで700万円払っていた状況から、ついに借入金を完済できるまでになりました。
当初は債務超過の状態でしたが、必死に経営改革を進めた結果、現在では純資産約2億3,000万円の健全な財務体質を実現しました。時価純資産で見ると約2億9,500万円にまで成長しています。
正直、自分でも驚きました。バブル期よりも高い利益を出せるようになったんです。従業員も残業はほとんどなく、それでいて高い利益率。直近3期平均のEBITDAは約7,300万円と、まさにV字回復を遂げることができました。

工場内での作業中の様子
工場内での作業中の様子
タンクの溶接作業中の様子
タンクの溶接作業中の様子

達成感の裏で募る孤独と限界 一人で背負い続けた経営の重圧

負債を完済し、健全経営を実現されました。にもかかわらず、なぜM&Aを選択されたのですか?

最近頭の回転が悪くなったことを実感し、進退を考えるようになりました。でも、それ以上に大きかったのは、すべてを一人で背負う重圧でした。
負債返済のため、営業から見積もり、設計、スケジュール管理、図面作成まで、ほぼ一人でこなしていました。外注も試しましたが上手くいかず、結局自分でやるしかなく、工場の現場を見る余裕もあまりない、異常な状態でした。
世間でいう「社長」のイメージとはかけ離れていました。経営者というより、なんでも屋。従業員をまとめて組織を動かすことは苦手で。ただ、私が必死に働く姿を見て、みんなついてきてくれたんだと思います。

具体的にM&Aを考えたのはいつ頃でしたか?

元々職人不足が深刻で、長年一緒にやってきた従業員も次々に定年。新しく従業員を雇っても即戦力にならず、育てるにも時間がかかる。
ここから先、会社の成長を考えたら自分一人では無理があるし、右腕になる人材がいない。そもそも、もし今私が倒れたら会社は回らなくなる。息子はまだ高校生で、仮に息子が社会人になるまで頑張ったとしても、「継がない」と言われた時どうするのか。など常に先のことを考えて頭の中でシミュレーションをしていました。
前社長が私には内緒で「うちの会社を買わないか?」と、とある会社の社長に話を持ちかけていたことを知ったこともきっかけになりました。
従業員のこと、家族のこと、自分のこと、いろんなことを考えて、経営状態が良好な今M&Aをすることが一番の得策だと判断しました。ただし、うちの会社にとってメリットがある相手でなければ意味がない。そう思っていました。

ストライクとの出会いが変えた運命 複数提案が導いた最良の選択

ストライクを選んだ理由は何でしたか?

コンサルタントとの出会いについて振り返る石岡氏
コンサルタントとの出会いについて振り返る石岡氏

実は最初、商工会議所に自社株の件で相談に行ったんです。その後、M&A仲介会社からの電話やダイレクトメールはたくさん来ていましたが、「信用できない」と思って相手にしていませんでした。
ストライクさんは違いました。担当の板東さんと矢島さんが、とても誠実で中立的な立場でサポートしてくれると感じました。大風呂敷を広げたりせず、双方のことを考えて寄り添ってくれる。信頼の置けるアドバイザーでした。

他社との違いは何でしたか?

一番大きかったのは、複数の候補を提示してくれたことです。最初はサーチファンドの話もありました。若い経営者を育てるという案です。でも、それだと職人不足の問題は解決しない。私と同じことをやってもらうだけになってしまう。
そんな時、株式会社大晃ソレイユホールディングスを紹介されました。直感で「めっちゃいいじゃん!」と思いました。尾道という立地、造船業という業種。私たちは陸の仕事、大晃ソレイユさんは海の仕事で、きれいに住み分けができる。造船業は大量に資材を買うので安く調達できるメリットもある。仕事の融通も利く。すべてがかみ合っていました。
比較対象があったからこそ、大晃ソレイユとのM&Aに対してより前向きに、スピーディーに動けたんです。

最後の最後まで続いた試練 退職金ゼロでも貫いた信念

デューデリジェンスなど、ディールの中で大変だったことは?

後半はかなり精神的に追い詰められました。株主の一人に、わたしの退職金をゼロにしないとハンコを押さないと言われまして。私の退職金をゼロにすれば株主一人あたりの配当金額が高くなりますからね。
でも、それよりもこのM&Aを成立させたかった。大晃ソレイユさんなら良い嫁ぎ先になると確信し、自分の利益を犠牲にしてでも話を進めたいと思いました。最後の最後は「あと1週間でハンコをもらえなければこの話はなかったことにする」とまで言われ、契約書を徹夜で作り直してもらい、大阪まで走り、もう寝られなかったですね。
M&Aの資料準備も全部一人でやりました。従業員が帰ってから机に向かい、必要な書類を揃える。「これもあれも」という感じで。日常の仕事をこなしながらだったので、本当にきつかった。

ストライクのサポートで助かったことは?

コンサルタントとの思い出を話す石岡氏
コンサルタントとの思い出を話す石岡氏

板東さんと矢島さんのレスポンスがとても早かったことです。気になることを送るとすぐに返信が来る。「一瞬たりとも不安にさせない」という感じでした。
それと、食事の席で長年の愚痴を聞いてもらったことも大きかった。経営者の孤独って、誰にも話せないじゃないですか。友達に話してもわからないし。でも、彼らに話したらすごく楽になった。心療内科みたいでしたね(笑)。
あの大変な時期、キーッとなっていた私の心のケアをしてもらいました。本当に感謝しています。

従業員の不安と向き合いながら 新体制で描く次の100年

M&Aを従業員に伝えた時の反応は?

成約後に伝えました。朝礼で「今日、M&Aをします」と伝え、調印に行き、会社に帰ってきてから松本章仁社長に挨拶をしてもらった。みんなかなり動揺していました。
翌日、松本社長が「これじゃまずい」と言って、一人一人個別面談をしてくれました。問題を感じたらすぐに行動へ移す。松本社長のその実行力がすごく信頼できました。
従業員の不安は、給料は変わらないか、残業が増えるんじゃないか、今までのマイペースな働き方ができなくなるんじゃないか。でも長い目で見れば、会社が存続することが一番大事。私がこのまま続けて、仕事が減り、赤字が続いたら廃業です。それを考えれば、従業員にとっても良い選択だったはずです。

今後、石岡鉄工所にどうなってほしいですか?

従業員には職人を極めてほしい。自分の技術を磨いて、自分の価値を高めて、それが給料にも反映される。頑張った人が報われる会社になってほしい。
私自身は、もう社長という立場を離れたので、経営と従業員両方の視点から客観的に「こうした方がいい」と素直に言える立場になりました。

早い決断が未来を変える

M&Aを検討している経営者へメッセージをお願いします。

決断するなら早く動くことです。追い込まれてからでは遅い。悩むくらいなら、まず動いてみる。最終的にやるかどうかは、その時に決めればいいんです。
相手探しが一番時間がかかります。ストライクさんなら最初は費用もかからないので、まず相談してみればいい。婚活と同じで、相手が見えないと何も始まりません。実際に候補が出てくると、具体的にイメージできるようになります。
私も「うちの会社なんて売れるわけがない」と思っていました。でも、ストライクさんからの課題にはすぐ対応しました。スピーディーに動いたから、早く進められたんです。
60歳前の私にとって、また負債を背負って工場を拡大するより、M&Aは事業を大きくする近道でした。相手選びで妥協せず、でもまず動くこと。それが100年企業の、次の100年への第一歩になるはずです。

本日はありがとうございました。

M&Aアドバイザーより一言(板東 伊吹・コンサルティング部 シニアアドバイザー談)

ストライク板東 伊吹

本件の始まりは、保険代理店様からのご紹介でした。初対面の際、石岡社長の若々しさを拝見して「なぜ今、譲渡なのか」と不思議に思ったのが本音です。しかし対話を重ねる中で、お父様から継いだ会社を立て直し、借金を完済されたという素晴らしい足跡、そして「次世代のために今動くべき」という決然とした覚悟をお聞きし、深い感銘を受けました。社長がこれまで歩んでこられた道のりと、未来への熱い想いをしっかりとお預かりしたからこそ、本日に至ることができました。

M&Aアドバイザーより一言(矢島 佑哉・コンサルティング部 アドバイザー談)

ストライク矢島 佑哉

石岡鉄工所様は、大型製缶加工業において100年以上の歴史を紡いでこられました。厳しい価格競争の中でも「自社にしかできないことは何か」を追求し、あらゆる困難を乗り越えてこられた会社様です。「見積」や「単価」における厳しい環境下で、自社の成長に何が必要なのか、前代表取締役の石岡様は、経営者として何ができるかを真摯に考え続けてこられました。
そのような中、「100年企業の、次の100年への第一歩」として、M&Aによる事業成長に可能性を見出していただけたこと、そしてお力添えができたことを大変嬉しく思います。
今後もM&Aを通じて、ご相談いただいた企業の発展に貢献できるよう、尽力してまいります。

2026年1月公開

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