INTERVIEW

譲渡して3年。
今、振り返るM&A。

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三基開発株式会社 創業者 秋田 喜久 氏

三基開発株式会社 創業者 秋田 喜久 氏

北海道における木材リサイクル業の先駆者である三基開発(北海道空知郡)。主に家屋解体材やパレット、型枠材などの木質系廃棄物を受け入れて、高品質な製紙原料や発電用・建材用の原料へとリサイクルしている。2017年3月、同社の創業者である秋田氏は、産業廃棄物処理業界の大手である大栄環境グループに同社を譲渡した。会社を譲渡してから3年が経った今、秋田氏に同社のM&Aについてお話を伺った。

「一生涯に一仕事」の想いから独立
まだリサイクルの概念が乏しかった北海道で啓蒙活動から始めた

三基開発の概要や特長を教えてください。

三基開発は、私が1983年に創業した北海道の木材リサイクル会社です。リサイクル業の中でも木材系廃棄物に特化しているのが特長で、家屋の解体現場から排出された木材や原木・伐採後に残ったものなど、多種多様な木材廃棄物をほぼ100%再資源化しています。木材は主に紙の原料となるほか、ボードと呼ばれる建築材料や発電燃料用のチップに加工して再利用しています。

もともと私は大手商社グループの社員として働いていました。当時の生活は安定していたものの、私の頭の中には「一生涯に一仕事」という想いがありました。心の奥底で、何か仕事で成し遂げたい、独立したい、そんな想いがあったのです。

40歳のときに研修で訪れた広島・呉で、偶然にも廃木材でエネルギーを作っている木材会社と出会いました。その会社の木材を乾燥させる場所には膨大な建築廃材の山があり、その廃材を大男が汗をかきながらボイラーに投げ入れていました。原始的な作業ですが、そうやって木材乾燥に必要な蒸気と電気を起こしていたのです。それを見た瞬間に、「私がやるべきことはこれだ!」と直感しました。私は商社にいながらも、当時は当たり前であった大量生産、大量消費、大量廃棄という資本主義の論理に疑問を感じていたのです。

その偶然の出会いから2年間、廃棄物処理について役所に行って調べたり、業者の取り組みについて勉強したりする日々を過ごしました。この道で独立する覚悟が決まったのは42歳のときです。私の決断に対して周囲の多くの人は反対しましたが、唯一、家内が賛成してくれました。

設立当時の状況はいかがでしたか?

三基開発株式会社 創業者 秋田 喜久 氏
譲渡にあたり希望した条件は、譲り受け企業が「三基開発を多角化できる可能性を持つ同業者である」ことと「立ち遅れている道内のリサイクル業界を引っ張ってくれるような規模の企業である」ことの2つ。大栄環境は、まさにこの2つの条件に合致するお相手だった。「大栄環境さんは、大企業のしっかりした部分と中堅・中小企業の柔軟性を兼ね備えています。バランスのとれた非常に素晴らしい会社に出会えて、私もとてもうれしく思っています」

出身地である北海道・札幌で会社を設立しましたが、最初に苦労したのは廃木材の仕入れです。今では考えられませんが、当時の北海道には「リサイクル」という概念がほとんどありませんでした。本州では建物を取り壊す際に出る廃木材は処理業者に持っていくのが当たり前でしたが、土地が広大な北海道では、そういった廃木材は大きな穴を掘って埋めていたのです。廃棄する際の法律などもなかったので、解体業者としては我々のようなリサイクル業者にわざわざ廃木材を持ってくる必要がありませんでした。

このため、まずは解体業者に行って、木材リサイクル事業について説明をしました。最初は業者の方々から「リサイクルって何?」と聞かれましたね。新聞紙などに再利用する過程を例にして「モノを捨てないで循環させていくものですよ」といった説明を繰り返し、こちらが解体業者にお金を払って廃木材を買っていました。北海道でリサイクル事業を行うには、啓蒙活動から入っていく必要があったのです。

資本もない、工場もない、モノや環境も整っていない、人の理解もない、供給者もいない――当時の私には本当に何もありませんでしたが、多くの方々に助けていただき、支えていただきながら、どうすれば良いかを必死に考えました。起業して1年目の決算は赤字でしたが、2年目には少しの黒字となり、3年目からはちゃんとした黒字経営ができるようになりました。そうして今日に至るまで、事業を継続させることができたのです。

譲渡のきっかけは「老い」の自覚
M&Aについて本を読み学んで譲渡の条件などを考えた

会社の譲渡を考えられたきっかけは?

創業から木材廃棄物に特化して、いろいろな取り組みをしてきましたが、あるとき「もう木材廃棄物のリサイクルではやるべきことはやり尽くした」という達成感がこみ上げてきました。ならば次の一手をどうするか?

木材以外にも、例えばコンクリートや食品、紙おむつのリサイクルなど、業務の幅を広げていくことを考えました。会社の業績も堅調だったため、今なら借金をしなくても事業を多角化できるとも思いました。社内でも「今が会社を飛躍させるチャンスだ」という機運が高まった。けれども前向きに考え始めたとき、突如として、自分自身の「老い」を感じたのです。私は75歳になっていて、新しいことへの取り組みや出張が億劫になってきていました。だんだん考えが狭まり、体力的にもきつい。事業を多角化したいという意欲はあっても、今の自分の体力では難しいと感じるようになったのです。

もう一つの要因として「人に物事を任せにくい」という自分の性格もありました。私は何から何まで把握しておきたいタイプなので、体力が落ちてきたからといって、新たな業務を他人に任せることはできないと思いました。「ああ、これはもう会社を丸ごと、どなたかに譲るべき時期なのだ」と。そんな悟りに近い感覚から、会社を譲ることにしたのです。

事業を誰にどう引き継ぐか、いろいろな選択肢がある中で、顧問税理士の先生や商工会議所に相談にいきました。従業員の誰かを経営者に育てる、外部から経営者を招聘するといった案もありましたが、それらはハードルが高く、残るはM&Aだと教えてもらい、税理士の先生からストライクさんを紹介してもらいました。

経営を第三者に譲ることについて、どのような感覚でしたか?

正直に言うと、自分が「買う側」だったら良いけれど、「譲る側」になるのは良い気分ではありませんでした。会社はモノではありません。従業員の人生もかかっています。でも、だからこそ私はM&Aについて勉強しなければと思い、本を5~6冊買って、一生懸命読みました。

譲渡するにあたり、お相手に希望する条件についても熟考しました。まず、同業の廃棄物処理業者であること。これから会社を多角化していこうと考えていた時期だったので、その可能性を持つ企業であることが重要でした。それから、道内のリサイクル業界は本州に比べ立ち遅れているところがあったので、道内のリサイクル業界を引っ張ってくれるような規模の企業であること。そういう漠然とした条件をストライクの担当の和久田さんに伝えながら、M&Aに臨みました。

ストライクにご相談されて良かったことはありましたか?

まず第一に情報量の多さです。道内はもちろん、道外にも幅広く情報網を持っていて、多くの買い手企業の選択肢を提示していただけたのは、とてもありがたかったです。それから、和久田さんの人柄がとても好ましかったです。熱心ではあるけれど、決して成約を急がせることはなく、こちらの話をよく聞いてくれました。M&Aのやり方などを適宜、教えてもくれました。いくら本を読んでも我々は素人です。情報が少なかったり、今後の進め方がわからなかったりすると不安になりますが、和久田さんは我々をとにかく焦らせないようにしてくれました。そういう細やかで丁寧な対応が大事なのだと感じました。

譲渡して3年、従業員は一人も辞めていない
休暇や各種の手当など新たな制度も導入され安心して働ける環境になっている

お相手の大栄環境様の印象を教えてください。

大栄環境さんは、まさに私が考えていた2つの条件に合致する会社でした。弊社の多角化の可能性や、道内の業界を引っ張っていくことについて文句のつけようのない、業界のトップリーダーの企業をご紹介いただいたと思っています。

 

大栄環境さんは大企業のしっかりした部分と中堅・中小企業の柔軟性を兼ね備えているという印象です。業績も好調で、組織づくりもしっかりしています。経理面のシステムなどは大企業ならではの隙のなさがありつつ、中小企業の家族的な雰囲気も随所に見られます。バランスのとれた非常に素晴らしい会社にバトンタッチすることができて、私もとてもうれしく思っています。

譲渡後の会社の状況はいかがですか?

秋田喜久氏とストライク和久田
M&Aの本を読み勉強したという秋田氏。それでも「プロにいろいろ教えてもらえたのはありがたかった」と話す。「いくら本を読んでも我々は素人。和久田さんはこちらの話をよく聞いてくれ、そのつど必要な情報を提供してくれたので、安心して進めることができました」(写真左はストライク担当の和久田)

一番うれしいのは、3年も経つのに従業員が一人も辞めていないことです。譲渡した当時、もうすぐ辞めると言っていた人間が今も辞めないで残っています。それどころか譲渡する前よりも人数が増えているそうです。

譲渡する際の条件として、譲渡後も従業員の待遇を維持することを挙げていましたが、それ以上に良い待遇になっているようです。休暇や各種の手当、定年の延長など新たな制度が導入されています。労務面のしっかりとした体制は、大企業ならではの良いところですね。従業員たちは私が社長をやっていた時代よりも安心して働けているようで、みんな喜んでいます。

振り返って考えると、年寄りの私が社長をやっていた頃は、「社長に何かあったらどうしよう」と不安を感じていた社員もいたと思います。でも、大栄環境さんのグループ会社になったから、みんな辞めないでいます。今でも社員から「本当に三基開発に入ってよかった。ありがとう」という年賀状をもらいます。それはもう涙が出るほど、うれしいことです。

日本に馴染むのはM&AではなくM&S?
会社を引き継ぐ(Succession)という良いイメージで広く浸透してほしい

M&Aを振り返ってみて感じたことがあれば教えてください。

実はM&Aを検討していた最中に困ったことが1つありました。それは「M&Aで会社を売る」ことのイメージの悪さです。私自身、会社を譲渡することに後ろめたい気分になりました。外国で生まれたM&Aという手法は、日本の中小企業においてはまだ定着している途中で、大きな声でM&Aに取り組んでいるとは言えない……そんな状況がとても苦痛でした。

今回の経験を通じて、私はM&Aは会社が持つ社会的な役割を、次の企業に引き継ぐものだと理解しました。会社や株式の売買は、その目的を果たす行為の一側面にしかすぎません。けれども、世間的にはM&Aというと「高く買った」「安く売った」といったことばかりがクローズアップされがちです。私も知人から「会社を売って儲かったの?」と質問されました。そういう目で自分が見られているのかと思うと、良い気分ではなかったですね。

私はM&Aの「M(Merger=合併)」はいいのですが、「A(Acquisition=買収)」が引っ掛かります。引き継ぐという意味の「Succession」という単語があるので、これからの日本では「M&A」ではなく「M&S」という言葉で浸透していくとよいのではないかと考えています。

第一線を退かれてからの生活を教えてください。

今は家で過ごすことが増えています。三基開発の「M&S」から3年、私としては「隠居道」を極めるつもりだったのですが、社長をやっていた頃から意識を変えるのはなかなか難しいものです。人生100年時代と言いますので、もう少し先を考えなければならないですね。社会に出てボランティアなど何か人のためになるようなことをしたいと思っています。今回のインタビュー記事が、M&Sで悩まれている経営者の一助となるといいですね。

本日はありがとうございました。

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