INTERVIEW

創業90年を迎える老舗ステンレス加工会社
社員を守り、創業者の思いを継承するため
異なるエリアの同業会社とのM&Aを決意

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満寿産業株式会社 取締役社長 橋本 知彦 氏

満寿産業株式会社 取締役社長 橋本 知彦 氏

1934年創業の満寿産業株式会社(神奈川県川崎市)は、創業以来、ステンレス部材の供給、ステンレス切断・加工などステンレス製品全般を扱う企業。販売先は97%が東京都と神奈川県が占める。さらに詳しく見ると、売り上げの約半分を会社の所在地である川崎市川崎区と、その両隣の横浜市鶴見区、東京都大田区が占め、地域密着型で短納期に対応することを強みとしてきた。売り上げの減少や後継者問題などから、石川県白山市のステンレスやアルミ加工会社である株式会社BKTに譲渡を決意。その経緯や祖父、父と受け継いできた会社への思いについて、社長の橋本 知彦氏に伺った。

リーマンショックから持ち直すも、
コロナ禍で再び業績が悪化

御社の創業の経緯や沿革について教えてください。

満寿産業
創業90年近くになる老舗企業である満寿産業。地元の川崎市近隣での知名度は高く、地域密着型・短納期を強みとしている。

当社は私の祖父がステンレスの副原料の輸入、卸売り会社として創業しました。その後、ステンレス板の切断加工、販売業とステンレス全般の加工販売業に拡大しました。ステンレスが実用化されてからまだ110年余りですが、当社は創業から90年近くになり、規模は小さいながらも業界では老舗として名前が通り、特に地元では知名度があると自負しています。

譲渡を検討された理由について教えてください。

リーマンショックまでは業績は順調でしたが、リーマンショックで売り上げが激減したことに加え、ステンレスの原料であるニッケルの価格が暴落し、1億数千万円の損害が出ました。さらに顧客の流出も重なり、非常に厳しい状況に置かれ、数年間大きな赤字が続きました。その間に借入金も膨らみ、ピーク時で借入金は約7億円に。会社が潰れるかどうかという状況まで追い込まれたんです。当時、社長だった父を中心とした経営陣は対策を打てず、取引先の銀行からは「社長を交代しないと取引を継続できない」とまで言われて、父を説得の末、私が代表につくことになりました。45歳のことです。

そこから会社を立て直すため徹底して経費削減。従業員をかなり削減し、イチから出直し、いやマイナスから出直しました。それだけでは足りなかったので、公的な機関である中小企業再生支援協議会に業績を立て直すための施策を打っていただきました。そこから持ち直して順調に来ていたのですが、今度はコロナ禍やウクライナ情勢の影響で売り上げが落ちこむことになり、このままではジリ貧になることが予測されたので、M&Aで再起を図ろうと考えました。これが第一のきっかけです。

第二のきっかけは、2年半ほど前に小学校時代から仲の良かった経営者の友人が脳卒中で急逝してしまったことです。衝撃でした。近年、地元でも同世代の社長が亡くなったという知らせを耳にすることが増えています。おそらく皆さん大きな心労があったのでしょう。今、自分の身に何かあれば家族が大変な思いをする、会社が潰れて従業員が路頭に迷ってしまうかもしれないと不安になり、万が一のことがあっても会社が機能できるようにするためM&Aを選択しました。

背景には、ステンレス業界で抱えている課題もありますか。

そうですね。ステンレス業界に限りませんが人手不足が深刻な課題となっています。募集しても人が集まらない。来てもスキルが足りない。後継者もいない。また、ステンレス業界としては、原料のニッケルの価格の変動が激しく、経営が安定しにくいというところでも苦労しています。

条件は「同業NG」だったが、
熱意と本気度が伝わってきて――

M&Aを決意され、なぜストライクに相談いただいたのでしょうか。

ある時、たまたま電話がかかってきた仲介業者の話を聞いてみたところ、譲渡先として紹介された会社は中古車販売会社でした。しかも目的は我々の会社ではなく、会社が所有する土地のようで、相手としてはふさわしくないと考えすぐにお断りしました。また別の仲介業者で話を聞いたら、全く同じ中古車販売会社を紹介されまして、これではきちんとしたM&Aはできないと半ば諦めかけていたんです。その時、中小企業再生支援協議会の紹介で来ていただいた金融機関出身の相談役から「M&Aの仲介業者を選定するなら大手がいい」とアドバイスを受けまして、社名に「M&A」と付いていない会社であるストライクさんの門を叩きました。「M&A」と付いていると、従業員に知られたときに警戒されてしまうと考えたのです。ストライクさんに相談したのは2022年3月で、成約したのが2023年6月です。

譲渡先を決める際、どのようなことを条件にしましたか。

まずは今いる12人の従業員の雇用が確保されること。それから私はまだ57歳なので継続して働かせてもらえること。そして社名を変更しないこと。当社は古臭い名前ですが、創業者が妻と娘の名前から1字ずつ取って付けた思い入れのある社名であり、業界での知名度が高いということもあり、変えるのはもったいないという気持ちがありました。

また、お相手先として同業以外の会社を探していました。というのも、M&Aにおいて同業が譲受する目的は経費削減ではないか、となると当初は従業員の雇用は約束されてたとしても、いずれ削減したいと言われてしまうのではないかと考えたからです。それだけは絶対に避けたいことでした。

しかし、譲渡先に決まったのは同業であるステンレス・アルミ加工会社のBKTさんです。どのようなお気持ちの変化があったのでしょうか。

満寿産業株式会社 取締役社長 橋本 知彦 氏、ストライク木村
当初、同業はNGと考えていた橋本氏だが、担当者のアドバイスもあり、同業のBKT社と話を進めることを決意。
(写真左は担当の木村)

BKTさんは、同業ではありますが、同じステンレス加工でも加工対象が重なっていないところもありますし、所属している組合、協会が違います。石川県の会社で当社と距離があり、販売先を見れば全国展開はしているけれども、石川県外に拠点を持っているわけではありませんでした。そういった面からシナジーを生み出しやすいのではないかと考えました。数年前にBKTさんから仕入れた経験もあり、ご縁だと感じました。

ストライクのサービスや担当者はいかがでしたか。

満寿産業株式会社 取締役社長 橋本 知彦 氏、ストライク木村
ストライクの担当者はなんと学校の後輩ということが初回の面談時でわかったという。橋本氏はスキー部、担当の木村はアメフト部に所属。「親近感があり、話しやすかったですね」と橋本氏。

BKTさんの熱量、本気度を木村さんから伝えていただけたことが、今回の成約につながりました。木村さんの話を聞いて「雰囲気のいい会社だな」という印象を持ちましたし、「この会社となら一緒にうまくやっていけそうだ」という直感もありました。川崎市と石川県で距離があるので、なかなか直接お会いできる機会はありませんでしたが、電話や木村さんの話を通してBKTさんがいかに友好的に考えてくださっていたかがよくわかりましたので、話はトントン拍子に進みましたね。

M&Aアドバイザーより一言(木村 慎平・企業情報部 アドバイザー談)

ストライク木村

満寿産業様は、譲渡先として「同業はNG」という条件は、最後まで完全に解除されたわけではありませんでした。ただ、BKT様を含め、「この会社はその条件を外すに値する会社だ」と思う会社をマッチングし、その会社に譲渡するメリットや、私が実際に会って感じたこと、先方がどれほど熱量を持っているかを丁寧にお伝えし、「この会社はぜひ会っていただけませんか」とお話いたしました。
トップ面談では、「どんな人なのだろう」とお互いに探り合うことが多いのですが、BKTの浅谷 宏一社長は序盤から「ぜひ一緒にやってもらえたら」という前向きな姿勢で臨んでおられましたし、満寿産業様の事業への理解度も高かったため、橋本社長も譲渡後のシナジーのイメージができたように思います。

成約後の引き継ぎもたいへん
先延ばしにせずに決断を

従業員の反応はいかがでしょうか。

年配の従業員はまだ少し戸惑っているようですが、若い従業員はウェルカムといった反応です。「これで会社も安定する、将来の不安がなくなった」と安心してもらえたようです。

将来のビジョンについてお聞かせください。

浅谷社長のビジネスに対する考え方はとても勉強になります。BKTさんにいろいろと学ばせていただき、当社が東のBKTになれたらと思っています。一方で、BKTさんにはない事業、例えばステンレスの卸売りや加工品の製造販売については、これまで培ってきた技術をしっかりと残していきたいと考えています。

今、M&Aに悩まれている経営者に向けてアドバイスをお願いします。

満寿産業株式会社 取締役社長 橋本 知彦 氏
「まだ慌ただしい時期なので『肩の荷が下りてホッとした』とまではいきません」と語る橋本氏。地元の工業団地の会長も務めており「M&Aの体験談を聞かせてほしい」という声も多く、川崎市による事業承継講座での講演も頼まれているという。

深刻な経営状況など会社の恥ずかしい部分は皆さん隠したがると思いますが、当社は足元の厳しい業績もオープンにしてきました。そのほうが話は進みやすいように思います。

経営者としての自分自身のプライドも大切ですが、経営を安定させること、そのためにしっかりと実情を理解いただいた上で、資本提携のお相手として自社を選んでもらう、そのどちらをより大切に考えるかが大事だと思います。

今、友人や先輩含め、あちこちから「M&Aの経験談を聞かせてほしい」と声がかかっています。私が友人によく言っているのは、M&Aを決めるのはとても苦しいことではあるけれど、譲渡先を探すのもたいへんですし、成約した後の引き継ぎなどもとても忙しくてたいへんだということ。これがもし20年後だったら、おそらく私にはできない。決断するなら自分が元気に動けるうちに決めて行動したほうがいいと伝えています。

本日はありがとうございました。

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