INTERVIEW

上場から一転、M&Aで全株を譲渡
ヤマエグループに参画して描く
親子で挑む事業拡大への道

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株式会社LUMBER ONE 代表取締役 矢澤 俊一 氏

株式会社LUMBER ONE 代表取締役 矢澤 俊一 氏
株式会社LUMBER ONE 取締役社長室長 矢澤 俊樹 氏

東京都立川市に本社のある株式会社LUMBER ONE。1974年に材木店として創業し、住宅建築や不動産業へと事業を拡大して2022年10月、TOKYO PRO Marketに上場。その約1年後の2023年8月に上場を廃止し、翌9月に九州を代表する総合流通企業で東証プライム市場へ上場しているヤマエグループホールディングス株式会社(本社・福岡市)に全株を譲渡した。その選択にはどのような考えがあったのか。継続して経営を率いる矢澤俊一代表取締役と、M&Aの実務を担った長男の矢澤俊樹取締役社長室長に話しを伺った。

株式会社LUMBER ONE
ご成約インタビュー動画

1970年代に都内の材木店として創業
社員170名を抱える建築・不動産業に

はじめに事業内容を教えてください。

株式会社LUMBER ONE 取締役社長室長 矢澤 俊樹 氏
俊一氏の長男で、同社の取締役社長室長を務める矢澤俊樹氏

矢澤俊樹:LUMBER ONE GROUPは、株式会社LUMBER ONEと株式会社YAZAWA LUMBER、株式会社裕企画の3社で構成する社員約170名の建築と不動産事業の会社です。建築分野では注文住宅と分譲住宅の請負、リフォーム・リノベーションのほか、保育園や学校、グループホームなどの特殊建造物の建築を請け負っています。不動産分野では分譲用地を仕入れて住宅を建築、販売するほか、首都圏で数十カ所の自社不動産を保有し、他社保有も含めて賃貸管理業を営んでいます。

俊一社長は2代目ですが、創業時は材木店だったそうですね。

祖業の地、立川で材木店としてスタートした同社は、住宅建築や不動産業へと業容を拡大してきた。
祖業の地、立川で材木店としてスタートした同社は、住宅建築や不動産業へと業容を拡大してきた。

矢澤俊一:東京都立川市で1974年に父が矢澤材木店として材木卸を始めたのが祖業です。私は大学を出て不動産会社で働いていたのですが、人手が足らないからと父に言われて家業に入りました。ところが実際に仕事をしてみると、材木卸の商売ではなかなか利益が出ない。自分たちで丸ごと1棟建てたほうが良いと考えて1997年、30歳になるころに社長を継いで建築・不動産業へとシフトして、現在の業態にしていきました。

長男の俊樹さんが家業に入られたのはいつですか。

矢澤俊樹:5年前の2018年です。大学を出てLUMBER ONE GROUPの主要取引先で3年ほど、M&Aで業容を拡大している会社で、税務・財務・会計関係の仕事を皮切りにM&Aの買収業務に従事していました。父は営業一筋だったので、長男の私には経験していない領域の実務を身に付けてほしかったようです。いつかは家業を継ぐことになるだろうと思っていたので、今後のLUMBER ONE GROUPの業容拡大の選択肢を増やすために外部の企業を経験してから当社に入社することに決めていました。

2022年にTOKYO PRO Marketに上場
より業容を拡大していくため、次なる展開を検討

2022年10月にTOKYO PRO Marketに上場されましたが、どういう理由からですか。

矢澤俊一:経営を担って30年弱ですが、2回ぐらい倒産寸前の危機を経験しました。個人で会社をやっていると、そんなときに誰も助けてくれないわけです。金融機関の貸しはがしにあったときも、コツコツと貯めてきた自己資金を投じて乗り切るしかありませんでした。繰り返し訪れる個人保証を回避したいというのが上場を検討したきっかけです。また、上場すれば資金調達ができ、事業を拡大でき、人材も確保しやすくなるだろうと考えました。

当初は名古屋証券取引所にステップアップ上場する予定で準備をしていましたが、上場した同業他社を見ると、時価総額が上がらず、資金調達がそれほどできていませんでした。当社の事業もコロナ禍で輸入材が高騰したウッドショックの影響を受けて利益が出ない状態にあり、株式市場も低迷していたので、このタイミングで一般市場に上場しても企業価値はつかないだろうと考えていたときに、TOKYO PRO Marketの情報を得るタイミングがありました。国内外のプロ投資家に限定した市場で、一般市場より上場基準が柔軟で審査も短い。4ケタの銘柄コードは付与されるので上場企業だとうたえて、株式は手放さなくていいこともわかりました。そこで、一般市場に行く前段として、TOKYO PRO Marketにいったん上場することにしました。

上場のメリットはありましたか。

矢澤俊樹:TOKYO PRO Marketは流動性が極めて小さいので資金調達のニーズは満たすことはできません。メリットとして感じたのは、東京証券取引所に上場した企業とうたえることと、採用の応募が増えたことくらいで限定的でした。そこで、業容を拡大していくための資金ニーズや現在の企業風土や経営方針を尊重してくれ、ともに成長していけるビジネスパートナーと手を組むため、2023年8月に上場を廃止し、9月のヤマエグループホールディングスさんへの株式譲渡に至りました。

TOKYO PRO Marketに上場しつつ、次の検討を進められていたわけですね。

矢澤俊一:上場直後から譲渡先を探し始めていました。それは、TOKYO PRO Marketから名古屋証券取引所、東京証券取引所へステップアップして上場できたとしても、今の市場環境のなかで売上規模を500億、1000億と拡大していく未来図がなかなか描けなかったということがあります。首都圏に根差して建築業や不動産業を営んできたので、全国展開するノウハウがなかったことが要因でした。そこで、会社を成長させる資金と創業家としてのキャピタルゲインが得られ、培ってきた企業文化を残せること、この3つの条件がかなう会社はないかとM&A仲介会社との相談を始めました。

家業を継ぐことを期待されて育った俊樹さんは譲渡に抵抗感はなかったですか。

矢澤俊樹:M&Aを父が決断し、最初に話しを聞いたときは驚きました。1週間ほど考えましたが、そこで思ったことは、父と私が思い描く成長ビジョンは、上場だけが選択肢ではないということ。創業以来築いてきた企業文化を大事にしてくれて、私たちが経営に携わることができる譲渡先であれば、会社、社員、取引業者、創業家の全てにとってベストな選択であると確信し、株式の保有にこだわらなくていいのではないかと思い、父の考えに賛同しました。

先にグループ入りした同業の評価に興味
心の内にあった譲渡先の本命

譲渡先となったヤマエグループホールディングスは、食と住まいの卸売業を中心としたグループ約70社で構成する総合流通企業です。出合いを教えていただけますか。

株式会社LUMBER ONE 代表取締役 矢澤 俊一 氏
株式会社LUMBER ONE 代表取締役 矢澤俊一氏

矢澤俊一:同じ立川市で不動産業を営む中学校の後輩が、2022年にヤマエグループホールディングスさんに全株譲渡してグループ入りしていました。様子を聞くと、事業を自由にやらせてくれて、資金面のしっかりとしたバックアップもあると教えてくれました。譲渡先として私は、地方のキャッシュリッチな異業種を希望していました。都内で同業だと事業に介入されて会社のカラーを変えられてしまうと考えたからです。後輩の話でヤマエグループホールディングスさんに興味をひかれましたが、ほかにも良い会社があるかもしれないので、複数のM&A仲介会社に譲渡先を相談しました。

そこでストライクにも声をかけていただいたのですね。

矢澤俊一:大西さんからの営業の手紙を受け取ったときに、私から電話をしました。希望条件を伝えると、大西さんは「わかりました」と。私の希望を汲み取った上で、ヤマエグループホールディングスさん以外も含め、大西さんは迅速に動いてくれました。

矢澤俊樹:トップ面談を一番早くセッティングしてくれた仲介会社にお願いしようと父と話しており、大西さんが群を抜いて早くトップ面談を設定してくれました。

2023年2月にトップ面談となりました。先方にはどんな印象を持ちましたか。

矢澤俊一:福岡の本社に伺って、網田日出人会長にお会いしました。トップセールスマンから社長になられて今の拡大路線を牽引された方です。自分の代で1兆円企業にするのだと熱く語られました。私も1000億円の決算書を棺桶に入れて成仏したいと話してきたので、この人にならついていきたいという、そう思わせるとても魅力のある方でした。今は網田会長にどうやったら認めてもらえるかという思いのみで、やる気しかないです。

矢澤俊樹:私は従業員を非常に大切にしている印象を受けました。企業の成長よりも先に賃金を上げるんだと。従業員はそれに報いようとして、おのずと生産性は上がっていくものだというお話は、父と考え方が似ていて、その話のときに2人が打ち解けた印象を受けました。

方針転換を社員に対して丁寧に説明
資金力を得て、街づくり開発にも挑みたい

M&Aを進めていくうえで大変だったことはありますか。

矢澤俊樹:TOKYO PRO Marketの上場廃止手続きと併行しての作業が時間的に大変でした。ヤマエグループホールディングスさんの取締役会決議に必要な書類を間に合わせるには、1日2日のズレも許されないスケジュールだったので、その準備を1人で進めたことですね。

会社を譲渡することに対する社内の反応はいかがでしたか。

矢澤俊樹:上場を目指していましたから驚く社員もいました。株主が変わることはもちろんのことですが、会社が掲げていたステップアップ上場というフラグシップがなくなることで原動力を失う社員がでることに懸念を覚え、今回の株式譲渡の趣旨を丁寧に説明しようと、約170名いる社員を事業部単位などに分けて、社長と2人で、東証プライム企業にグループインすることで雇用が安定し、事業の成長が図れることなどを伝えました。不安に思う社員とは個別に話しを聞く場も設けたことで、みなさんに理解していただけました。

ストライクの担当者の印象、サービスについての感想を教えてください。

矢澤俊一氏・矢澤俊樹氏、ストライクの依田・大西
ストライクは「人生に一度しかない売主側の気持ちを考えている」と感じたと話す俊樹氏。(後列右はストライクの依田、後列左が大西)

矢澤俊樹:大西さんのサービスは素晴らしかったです。レスポンスが早くて電話は毎回、1コール鳴らないくらいで出られていました。あれっ、コールが鳴ってないのに何で話し声が聞こえるんだって感じでした(笑)。タスクマネジメントにも長けていて、細かな内容も必ずリマインドがあり、進捗管理もしてくれました。しかも嫌味なく、やんわりとお尻を叩いてくれるので本当にやりやすかったです。料金体系についても着手金がなく、中間報酬もミニマムなので、人生に1度しかない決断をする売主側の気持ちを考えていると感じました。

引き続き経営の舵取りをされます。今後の事業展開についてお聞かせください。

矢澤俊一:M&Aに踏み切ったのは、この会社を伸ばしていきたいという思いからです。今年56歳ですが、途中で社長を引退しても会長職で70歳過ぎまでは働き続けたいと思っています。先ほども話したように1000億円の決算書を棺桶に入れて成仏できるよう事業拡大に努めたいと思います。

矢澤俊樹:これまではできなかった大型の分譲開発用地を仕入れて、何棟もの家を建てる街づくりにも挑戦してみたいです。ヤマエグループの成長を担う首都圏の中核企業になれるよう頑張りたいと思います。

自社単体での成長に難しさを感じている経営者にアドバイスをお願いします。

矢澤俊樹:私たちは会社を大きくしたいという軸がありました。それを実現する手段は株式上場がすべてではなく、M&Aもあるとわかり舵を切りました。資金力のある大手企業へのグループインは良い選択でした。自分たちが実現したい企業像やニーズをしっかりと汲み取って、譲渡先を探し出せる仲介会社が見つかれば、思い描くビジョンが現実のものになるということを伝えたいと思います。

本日はありがとうございました。

M&Aアドバイザーより一言(大西 達也・事業法人部アドバイザー談)

ストライク大西

LUMBER ONE様は、上場している東京都内の独立系不動産会社として高い知名度を誇り、社内には跡取りとなるご子息様もいらっしゃったため、事業譲渡を開示された時はかなりの反響があったと伺っております。
本件はオーガニック成長を目指し、TOKYO PRO Marketから上場市場を変更するか、またはM&Aを活用した成長戦略を選択するか、という重要なご判断を要する案件でした。
ご子息様は非常に柔軟なお考えをお持ちで、幼少期から会社を継ぐ事を意識されてきた中で、自社と従業員の皆様の将来を見据え、本件に対して深い理解と迅速なサポートをいただきました。矢澤社長は、ヤマエグループホールディングス様という大きなバックボーンを得た事により、更なる事業展開を計画されております。ヤマエグループホールディングス様もLUMBER ONE様をとても尊重されているとの事で、担当者としても非常に良いご縁であったと感じております。
今後も、両社のより一層の発展を心より願っております。

2025年5月公開

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