M&Aで後継者不在を解決

(実録) 身内にも社内にも後継者がおらず…
日本有数の豪雪地帯で生まれたN氏は、子供のころから成績優秀で東京の大学へ進学、卒業後は大手防災設備会社に就職した。
大阪万博の翌年である昭和46年にN氏は独立を決意し、神奈川県内に防災設備会社を設立。以来28年間、社員数15名、営業所3ヶ所と小規模ながら無借金経営と優良企業に成長しており、売上高4~5億円、経常利益は3千万円に達していた。
ところがN氏には悩みがあった。それは10万人に1人の確率の難病に侵され、最近は思うように出勤もままならない状態となっていたのである。幸い番頭役のK専務が会社を切り盛りしていたため、事業に支障はなかった。
後継ぎ息子は大企業に就職しており、家業を継ぐつもりは全くないという。N氏は病気の回復が見込めなかったため、K専務に次期社長への就任を打診した。しかしK専務は辞退した。株式を買い取る資金がなかったし、なによりも社長と専務では立場が違う。54歳のK専務には荷が重すぎた。
平成10年12月
N氏にとって病気の身には冬の寒さが辛い。自宅のインターネットで調べた結果、「会社を第三者に売却する」という道があることを知った。
その売却に関するポイントは3つ。「1. 業績好調で財務内容が良い会社は売却しやすいこと、2. 心苦しくても従業員には最終契約まで秘密にすること、3. M&A仲介会社の手助けが必要なこと。」
早速、N氏はM&A仲介会社のストライクに1通のメールを送った。
「健康上の理由と後継者不在のため、会社の売却を考えている。基盤のしっかりした企業に経営を引き継いで欲しい」
メールを受け取った荒井は、早速N氏を訪ねる。N氏の意思は固まっていた。その場でアドバイザリー契約を締結。荒井は相手先の探索に着手した。
平成11年5月
売上減少傾向を打開したいSビルが買収候補先に上がり、トップミーティングとなった。業界の現状と将来の展望などについて話し合い、これより本格的な条件交渉に入ったかに見えた。
しかし事態は思わぬ方向へ。N氏の希望売却価額とSビルの買収希望価額に大きな開きがあり、交渉が決裂してしまう。背景にはSビル副社長が価格競争の激化を極度に不安視していたことだった。
平成11年8月
複数のビルメン会社が興味を示すもののいずれも決め手を欠き、時間だけが過ぎていった。N氏に交渉の疲れが見え始め、ついに声を荒げて荒井にいった。
「本当のことを教えてください! もうこの縁談は無理なんでしょう?」
すでにアドバイザリー契約締結から10ヶ月が経っていた。
「荒井さん、実は私は余命宣告を受けた身です。あまり時間がないんです。」
荒井は絶句した。もうこれ以上、健康上の問題を抱えるN氏に過酷な交渉をさせることは困難である。荒井はN氏に「必ず年内譲渡決着する」と約束した。
平成11年10月
荒井は前にも増して精力的に有力候補先へ足を運んでいた。そんな荒井のもとに同じく神奈川県を地盤とするYビルが強い関心を示す。守秘義務締結後、YビルのO社長が開示資料に目を通した。K社長は直感的に悟ったのか資料を机の上において、こう言った。
「いい縁組みだ。ただし私自身の決心のため1週間時間を与えて欲しい」
1週間後、K社長より電話が入る。
「N氏とのアポイントを頼む。」
N氏との条件交渉も順調に進んだかにみえたが、Yビル側が受け入れ態勢の準備期間を理由にN氏の望む年内決着は難しいと回答する。しかしN氏は余命宣告を受けている。
「スケジュールは絶対に譲れません。」
荒井の強い姿勢にYビル側も折れ、年内譲渡の方向で話がまとまった。
ようやく先がみえたN氏は、ここで始めて番頭格のK専務に会社を売却する意思を打ち明けた。
ところが快く賛成すると思われたK専務が「どうしていままで相談してくれなかったんですか!」と猛反発。N氏は面食らってしまった。
N氏の妻から事の次第を聞いた荒井は、「明日、私からK専務に話してみます」と答えた。当事者同士では感傷的になってしまい、冷静な話し合いが出来ない。ここは自分の出番であることを荒井は経験上よくわかっていた。
勇んで面談に臨んだ荒井であったが、K専務はあっけなく「協力するつもりである。」と答えた。一晩考えて、冷静に判断が出来たのだろう。
「ただし社員の待遇は変わらないことを約束してください。」
K専務が固持するのには理由がある。1年半前、K専務は同業の防災会社に勤める友人が会社の売却をきっかけにみるみるやつれ、体調を崩しているのをみてきたからだ。
「あれは前のオーナーが会社を高値で売りすぎたんだよ。」
N氏はその会社の事情を知っていた。前オーナーは、年商4億円の会社を8億円で売却したという。思わず荒井は法外な金額に目を剥いた。
買収する側は買収額以上に投資回収できると見込んで買収するのである。そんな高値で買収をすれば採算が合わなくなり、結果として給料水準が引き下げられたり、無理な営業ノルマを課せられたりと社員にしわ寄せが来るのは目に見えている。
平成12年11月下旬
譲渡価額が固まり、交渉条件は詰め終わった。基本合意書調印の準備に取りかかる。
平成12年12月上旬
基本合意調印後、すぐに買収監査に入る。若干の価額調整が入ったものの概ね基本合意書通りの条件で問題ないこととなった。
平成12年12月×日 (午前)
ついに最終契約に調印。取材陣もいなければ派手な横断幕もない。調印場所はN氏の自宅である。
出席者はN氏とN氏の妻、K専務、YビルのO社長そして荒井の計5名である。
形式だけの契約書の読み合わせが終わり、N氏とO社長が固い握手を交わす。
N氏は長い交渉から開放され、思わず安堵の笑みを浮かべた。
N氏は荒井に「30年かけて育て上げた会社とそこで働く従業員を遠くで見守りながら、老後をゆったり過ごしたい」と語った。
平成12年12月×日 (午後)
その日の午後、N氏はK専務に社員宛のメッセージを渡した。
社員諸君
Y防災は本日をもってYビルサービスの子会社となり、私は代表取締役を退きました。
貴君らはご存知だと思いますが、私はここ3年ほど体調を崩して、会社への出勤がままならない状態でした。健康に問題を抱えた社長が長く留任していることは、社員諸君ならびに顧客各位にとって好ましいことではありません。早く次の経営者にバトンタッチするべきだと、ずっと模索していました。
そんな折、縁あってYビルサービスにY防災の今後の経営をお任せすることになりました。
YビルのO社長とは、今後のY防災の経営について十分に議論して、社員諸君とお客様を大事にしていただけると判断してお願いする決意をしたわけです。
貴君らの待遇にまったく変更はありません。これはO社長からもお約束いただいております。
ここ3年間は社長らしいこともできず、貴君らには大変申し訳ないことをしたと思いますが、今後は新社長のもと、大いに活躍してください。
※社名および登場人物のみ匿名。原文のまま掲載させていただいております。
N氏にはこの3年後にインタビューをしました。



